三時の電話

怪談 |2026.06.14

主人公の浩之(ひろゆき)は、都内の古びたワンルームマンションに住んでいる。引っ越してきた初日から、壁に埋め込まれた古い電話線のジャックが気になっていた。現代では使う必要のない、懐かしい黒いモジュラージャックだった。

引っ越して一週間が経ったある夜、午前二時五十分。浩之は何の前触れもなく目を覚ました。時計を確認すると、あと十分で三時になるところだった。奇妙な胸騒ぎがして、眠り直すことができなかった。その時だった。

「リリリリン——」

部屋に、電話のベルの音が響いた。

浩之は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。この部屋には固定電話などない。スマートフォンはマナーモードにして枕元に置いてある。しかし確かに、壁の方向から、あの古めかしい電話のベル音が聞こえてくる。

「リリリリン——」

二度目だ。浩之は布団から起き上がり、音の発生源を探した。驚いたことに、音は壁に埋め込まれたあの古いモジュラージャックから聞こえてきていた。ジャックの小さな穴の奥で、何かが振動しているようにも思えた。

「リリリリン——」

浩之は手を伸ばした。電話などどこにもない。あるのはただ、壁に固定されたジャックだけだ。しかし鳴り続けるベル音に押されるように、彼は無意識にそのジャックに受話器があるかのように手を当て、耳を近づけた。

音が止んだ。

代わりに、向こう側からかすかに聞こえてきたのは、女の声だった。

「……もしもし?」

若い女性の、どこか沈んだ声だった。浩之は慌てて手を離した。ジャックからはもう何も聞こえない。ただ静寂だけが部屋を満たしていた。

その夜、浩之は二度と眠れなかった。

翌朝、管理会社に問い合わせると、あの部屋には確かに昔、固定電話が設置されていたらしい。しかし既に回線は二十年以上前に停止されているとのことだった。ジャックは撤去工事の対象から漏れたまま、壁に残っていたのだという。

「電話線も通っていない場所から、ベルが鳴るはずがありませんよ」と管理会社の担当者は笑った。

浩之はその言葉に納得しかけた。しかしその夜も、同じように午前二時五十分に目が覚めた。そして三時ちょうどに、再びベルが鳴り始めた。

「リリリリン——」

今回は違っていた。音が大きくなっていた。前日よりも、確実に近くに感じられた。浩之は耳を塞ぎたくなったが、同時に——なぜだろう——あの声をもう一度聞きたいという衝動に駆られていた。

彼は再びジャックに手を当てた。

「……あの」

向こう側で、女性の声がした。今度ははっきりと聞こえた。

「あの、私の声、聞こえていますか?」

「……聞こえてる」

浩之はそう答えた。自分でもなぜ答えたのかわからなかった。ただ、無視してはいけない気がしたのだ。

「よかった」と女性の声が言った。「やっと、つながった」

それ以来、毎晩三時になると電話がかかってくるようになった。女性——彼女は自分を「ミサキ」と名乗った——は毎回、同じ時間に話しかけてくる。話す内容は他愛のないものだった。今日見た夢のこと、昔住んでいた家の庭に咲いていた花のこと、学生時代に好きだった人の話。どれも優しく、どこか物悲しい口調だった。

浩之は次第に、この夜中の電話に慣れていった。むしろ、楽しみにさえなり始めていた。昼間の仕事のストレスも、夜中の声を聞くと不思議と和らいだ。ミサキはいつも決まって十五分だけ話し、三時十五分になると「また明日」と言って通話が切れた。

そんな日々が二週間続いた頃だった。

ある夜、ミサキがこんなことを言った。

「ねえ、ずっと電話だけで話すのは、寂しいな」

「どういう意味?」

「私、あなたの顔が見たい」

浩之は返答に困った。当然だ。固定電話もない壁のジャックを通じてつながる声に、顔を見せることなどできない。

「でも、方法はあるの」とミサキが続けた。「私、覚えてるの。昔、この部屋に住んでいた時のこと。押し入れの天井板を外すと、小さな屋根裏部屋があったの」

浩之は背筋が冷たくなるのを感じた。この部屋に押し入れがある。だが、天井板を外したことなど一度もなかった。

「あそこに、私がいるの」

その夜、ミサキはそれだけ言って通話を切った。いつもは「また明日」と言うのに、その日は言わなかった。

浩之は一睡もできなかった。明かりをつけたまま朝まで過ごし、翌日会社を休んだ。そして昼間、思い切って押し入れの天井板を外してみることにした。

踏み台を用意し、押し入れの中に入って天井板を押し上げた。軋む音とともに埃が舞い落ちる。スマートフォンのライトで照らすと、狭い空間が見えた。確かに屋根裏に続いている。しかしそこには、何もなかった。

何も——いや、違う。

一番奥の梁の部分に、何かが結びつけてあった。古びた布切れのようなものだ。伸ばした手では届かない。浩之は上半身を屋根裏にねじ込み、どうにかそれを掴んだ。

それは、古いハンカチだった。白地に青い花模様の、明らかに二十年以上前のものだ。隅には刺繍で「MISAKI」の文字が入っていた。

その瞬間、浩之の頭の中にノイズのような雑音が走った。視界が歪み、一瞬何も見えなくなった。

そして、見えた。

この部屋の、二十年以上前の姿。家具の配置、壁紙の柄、窓から差し込む日の光。そして一人の若い女性が、この部屋で電話をしている姿。彼女は誰かと話しながら泣いていた。電話のコードを指に絡めて、声を詰まらせながら、何度も「ごめんなさい」と言っていた。

——ミサキだ。

ビジョンは一瞬で消えた。浩之は押し入れから転がり出るようにして屋根裏から降りた。手にしたハンカチはまだある。汗でぐっしょりと濡れていた。

その夜、三時になっても電話は鳴らなかった。

浩之は待った。十分、十五分、一時間。しかしあのベル音は二度と鳴らなかった。

翌日、管理会社にもう一度問い合わせた。今度は「二十年以上前の入居者の記録は残っていない」と言われた。だが近所の古い銭湯の店主が、かつてあのアパートに住んでいた若い女性のことを覚えていた。

「ミサキちゃんかい? 確かに住んでたよ。でもね、ある日突然消えちゃったんだ。彼氏と別れたとかで、塞ぎ込んでたみたいだけど——部屋に遺書も何もなくてね。行方不明になったんだよ」

浩之は手にしたハンカチを見下ろした。

それから一週間後、彼は引っ越した。押し入れの天井板は元に戻し、ハンカチはそこに置いてきた。彼女がまだ——あそこにいるのだとしたら——何かを遺していくのは忍びなかったからだ。

新しい部屋には、壁にジャックはなかった。夜は静かだった。

しかし昨夜——新しい部屋に越してきてちょうど三週間目の夜。午前二時五十分、浩之はまた目を覚ました。

そして聞いた。

枕元のスマートフォンから、かすかに、あのベル音が聞こえたような気がしたのだ。

彼はスマートフォンを手に取り、着信履歴を確認した。何も表示されていない。しかし耳を澄ますと、確かに聞こえる。遠くの海の底から響いてくるような、微かな呼び声。

「——もしもし?」

浩之は、スマートフォンを耳に当てていた。相手からは何も聞こえない。だが、その静寂の中に、確かに、あの優しい息遣いがあった。

翌朝、スマートフォンの画面には一通のメッセージが表示されていた。送信元不明。本文はたった一言。

「また明日」

その文字を見た瞬間、浩之は確信した。彼女はまだ、つながろうとしている。そして今度は、スマートフォンという、もっと身近な回線を通じて。

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