これは、大学の同級生だったMから聞いた話だ。Mは今はもう東京を離れてしまったが、あの夏に彼が経験したことは、今でも時々思い出すたびに背筋が寒くなる。彼が話してくれた時も、冗談めかして話そうとしながらも、その目の奥には確かな怯えがあったのを覚えている。
すべては、Mが実家の片付けを手伝うことになった、大学三年の夏休みから始まった。
Mの実家は埼玉の郊外にある、築四十年ほどの一軒家だ。両親がこの機会に家全体の大掃除をしようと言い出し、Mと妹の三人で押し入れや物置の整理をすることになった。二十年近く使っていない物が山のように積まれた実家の二階の物置部屋で、Mは古い段ボール箱を見つけた。
箱の中には、祖母が生前に保管していた古いアルバムや写真が詰まっていた。祖母はMが中学生の頃に他界したが、写真の整理が好きだったらしく、大量のアルバムが年代ごとに丁寧に分類されていた。Mは「懐かしいな」と思いながら、その場でぱらぱらとページをめくり始めた。
最初に見つけたのは、母の小学校の卒業アルバムだった。昭和の終わりの頃の写真で、モノクロに近いセピア色がかったプリントだ。クラス全員の集合写真の隅に、卒業制作の作品を手にした子どもたちの写真——Mは何気なく、その一枚一枚に目を通していた。
その時だった。
母の小学校時代の、教室での一枚。授業中に撮られたらしく、子どもたちが算数のプリントに取り組んでいる後ろ姿が写っている。その写真の、教室の一番後ろの窓際に、一人の女性が立っていた。
Mは最初、先生かと思った。しかしよく見ると、その女性は教室の外にいるように見えた。窓の外、校庭の方から教室の中を覗き込んでいるような構図だった。シルエットしか写っていなかったが、痩せた体つきで、長い髪をだらりと下ろした姿が、ぼんやりと窓ガラス越しに浮かび上がっていた。
不審に思ったMは、その写真を母に見せた。しかし母は「誰だろう、覚えてないなあ」と首をかしげるだけで、特に気にした様子はなかった。Mも「校庭に誰かいただけか」と納得しかけた。
しかしその後も、同じ箱から出てくる写真の何枚かに、同じ女性が写り込んでいることにMは気づいた。
母が小学生だった頃の、遠足の写真。奈良の大仏の前で撮った集合写真の、後ろの方の木陰に、白いワンピースのような服を着た女性が立っている。この写真では、先ほどよりはっきりと姿が写っていた。顔の輪郭もかろうじて見える——が、どこかぼやけていて、目鼻立ちまではっきりとしなかった。まるでピントがずれたかのように、彼女の部分だけが不自然にぼやけていた。
次は、母が中学生になった頃の写真。文化祭の仮装行列を撮ったスナップ写真の、人混みの中に、また同じ女がいた。今度はよりカメラに近い位置だ。正面を向いてはいないが、横向きの顔がはっきりと写っていた。痩せた頬、落ち窪んだ目のくぼみ——そこに浮かべているのは、微笑みなのか、それとも別のものなのか、Mには判断できなかった。
Mは背筋に冷たいものを感じながらも、その写真を妹に見せた。妹は「気持ち悪い」と一言言って、それ以上は見ようとしなかった。
「まだあるんだよ」
Mはさらに箱の中を探った。年代順に整理された写真の束を追っていくと、母の高校時代、そして社会人になった頃の写真にも、断続的にその女が写り込んでいることがわかった。写っている頻度にはばらつきがあったが、五年、十年というスパンで見れば、確かに彼女はそこにいた。
そして、決定的な一枚があった。
母が二十六歳の時——Mが生まれたばかりの頃の写真だ。家族三人で写った記念写真。Mを抱いた若い両親が、病院のベランダで笑顔を見せている。その写真の、ドアの影になった部分に、女が立っていた。
今度は間違いなく、カメラを見ていた。
こちらをまっすぐに見ている。写真の中の彼女は、病的に痩せ細った顔立ちで、黒く深い眼窩の奥から、まっすぐにレンズの先を見つめていた。口元はかすかに歪んでいて、それが笑顔なのか、泣き顔なのか、それとも他の何かなのか、見る者に強烈な違和感を残した。
Mはその写真を見た瞬間、鳥肌が立った。そして気づいたのだ。
一番古い写真——母が小学校の教室にいた頃のものでは、彼女は窓の外、遠くに立っていた。しかし年を追うごとに、彼女は確実にカメラに近づいている。
遠足の写真では木陰。文化祭では人混みの中。母の結婚式のスナップ写真では、参列者の最後列。そして生まれたばかりのMの写真では、もうすぐそこに立っていた。
まるで、長い年月をかけて、少しずつ、少しずつ、この家族に近づいてきているように。
Mは恐ろしくなって、それ以上写真を見るのをやめた。そしてその日、箱を元に戻して、二度と開けることはなかった。
しかし数日後、母から一通の電話があった。
「おばあちゃんの写真を整理してたら、おかしなものが出てきてね」
母が言うには、祖母の遺品の中から更に古いアルバムが出てきたらしい。祖母の若い頃の写真が収められているものだ。
「その中にね、一人だけ写ってはいけないはずの人が写ってるの」
母の声は、普段とは違って少し震えていた。
「おばあちゃんの、戦後に撮ったスナップ写真なんだけど、その後ろに、今度はあの女がいるのよ。しかもね——」
母はそこで言葉を切った。
「おばあちゃんのすぐ隣に立ってるの」
Mはそれ以上、母と話すことができなかった。電話を切った後も、しばらく手が震えていたという。誰かが長い時間をかけて、少しずつ、少しずつ、肉親に近づいてくる。そしてその存在は、祖母の代から、母の代へ、そしてMたちの代へと、確実に距離を縮めてきている——。
今でもMは、実家に帰るたびに、あの箱の中の写真をもう一度確認しようかどうか迷うらしい。しかし結局、いつも押し入れの前に立ったまま、引き返してしまうそうだ。確認する勇気が、まだないのだと彼は言った。
話はここで終わっている。それでよかったのかもしれない。確認しなかったからこそ、今も平穏が保たれているのだと、Mは言う。でも時々、深夜の一人暮らしの部屋で、ふとカメラロールの古い写真を見返していると、自分の知らない女の顔が、背景のどこかに紛れ込んでいるような気がして、怖くなる瞬間があるらしい。——そんな話を、彼は最後に付け加えた。