予測監視

SFホラー |2026.07.03

この街には「セーフティ・グリッド」というシステムがある。交差点の電柱、駅の改札、コンビニの天井——街中のあらゆる場所に設置されたカメラとセンサーが、AIによって常時解析されている。何のためか?犯罪を予測し、未然に防ぐためだ。殺人も、強盗も、痴漢も——この街ではもう三年以上、一件も起きていない。素晴らしいことだ、と誰もが言う。

だが、一つだけ気になることがある。

予測された「犯罪予備軍」は、どこへ行くのか。

システムは各市民にリスクスコアを割り当てている。歩行パターン、購買履歴、視線の動き、心拍数の揺らぎ——ありとあらゆるデータから、未来の犯罪確率を弾き出す。百点満点のセーフティスコア。八十点を切ると警告が出る。六十点を切ると「保護観察措置」の対象となる。そして四十点——。四十点を切った者は、街から忽然と姿を消す。

私の名は田辺啓介。都内のシステム開発会社に勤めるごく普通のサラリーマンだ。趣味も人間関係も平均的で、大きなトラブルを起こしたことは一度もない。私のリスクスコアは先月まで九十三点——「極めて安全」と表示される優秀な市民だった。

それが三週間前、週末の夜に帰宅途中の駅前で、ある光景を目にしたことで全てが変わり始めた。

午後十一時過ぎ、最終電車を逃した私はタクシー乗り場に向かっていた。人気のない駅前ロータリーの片隅に、白いワゴン車が停まっている。特徴のない、ごく普通の配送用のバンだった。だが、その横で二人のスーツの男が、一人の若い女を車に押し込もうとしている。女は抵抗していたが、声が出ていないようだった。口を押さえられているのか、それとも——何か別の理由で。

無視しようとした。そうすべきだった。誰もが知っている——この街で「見てはいけないもの」を見てはいけない。しかし、私の足は止まっていた。目が合った。女の目が、恐怖に引きつったまま、私を見ていた。

「……何か?」

スーツの男の一人が、こちらを向いて言った。口調は穏やかだった。あまりにも穏やかだった。顔には笑みすら浮かべていた。「お困りですか?」——いや、違う。あれは確認だった。私が「何も見ていない」ことを確認しているのだ。

「い、いえ」——私は早足でその場を離れた。振り返らなかった。振り返ってはいけないと思った。

翌朝、アプリで自分のスコアを確認したとき、私のリスクスコアは八十七点に下がっていた。

たった一夜で六ポイントの低下。理由は記載されていない。システムの計算はブラックボックスで、市民に開示されることはない。問い合わせ窓口に電話しても「AIの総合判断です」の一点張りで、具体的な説明は一切得られなかった。

次の日、八十二点。

その次の日、七十九点。

毎日、じわじわとスコアが下がっていく。私は何もしていない。普段と同じ時間に出社し、同じルートで帰宅し、同じスーパーで買い物をしている。それでもスコアは下がり続ける。何かのアルゴリズムが——あの夜、私が「見てしまった」ことを——私が「見た後に立ち去った」という行動パターンを——未来の犯罪行為と結びつけて計算しているとしか思えなかった。

七十三点になった日、アプリに通知が届いた。「お近くのカウンセリングセンターでのご相談をお勧めします」——添付された地図には、市役所の地下にある「グリッド適応指導室」の案内が表示されていた。行った者は戻ってこないと噂の場所だ。

私は恐怖した。このまま何もしなければ、六十点を切り、四十点を切り——あの白いワゴン車が、私を迎えに来る。

だが、どうすればいい?システムから逃れる方法など誰も知らない。スコアを上げる方法も、誰も教えてくれない。「安全に振る舞え」とだけ言われる。つまり——見たいものを見るな、聞きたいことを聞くな、知りたいことを知るな。思考そのものを監視されているようなものだ。

六十八点。アプリのトップ画面に「警告」の赤いアイコンが点灯した。妻にも言えずにいた。言えば、妻のスコアまで巻き込むことになる——システムは家族の相関も加味するという話を、誰かから聞いたことがあった。

そして昨夜、ついに六十一点になった。

私は眠れないまま夜を過ごし、翌朝——午前五時。外がまだ暗いうちに、玄関のチャイムが鳴った。モニターに映っていたのは、スーツ姿の男と、制服の警官だった。どちらも無表情だった。笑ってもいなかった。

「田辺啓介さんですね。グリッド適応指導のため、ご同行いただきます」

声はどこまでも事務的だった。

私は何も言えなかった。抵抗すれば、それでさらにスコアが下がる。すべてがシステムの論理の中に組み込まれている。私はただ、玄関を開け、スリッパのままで外に出た——そう言われたから。スコアを少しでも上げたかったから。従えば、まだ戻れるかもしれないという、かすかな期待があったから。

家の前には、あの白いワゴン車が停まっていた。後部座席の窓は、外からは見えないようにスモークが貼られている。

「おとなしくしていれば、すぐに戻れます」——男はそう言った。

嘘だと分かっていた。それでも、私は車に乗った。

今、この文章を書いているのは、その車の中だ。スマートフォンは取り上げられていない。まだ、取り上げられていないだけだ。彼らは私にメモを取るように言った。「あなたの気づきを記録しなさい。適応指導の第一歩です」と。

外の景色が流れる。見覚えのある街並みが、高速道路のインターチェンジを過ぎたあたりから、見知らぬ風景へと変わっていく。この車はどこへ向かっているのか——事前に知らされている市民はいない。行き先を知っている者は、戻ってこないからだ。

スコアは、今、四十二点だ。

もうすぐ四十点を切る。あと二ポイント。到着するまでに、おそらく切るだろう。

私の前に何人もの人が、この車に乗った。そして戻ってこなかった。彼らは本当に「適応指導」を受けたのか?それとも——予測された「未来の罪」に対する処罰が、本人の知らないうちに執行されているだけなのか。

システムは間違っていない。システムは常に正しい。少なくとも、そう設計されている。もし誰かが予測通りの犯罪を犯したら——それはシステムが正しかった証明になる。もし誰かが何もしなかったとしても——それはシステムが未然に防いだことになる。

どちらにせよ、システムは正しいのだ。私たちが消えることこそが、システムの正しさを証明する。

——車が、速度を落とし始めた。前方に、高い塀と鉄格子の門が見える。

「着きましたよ」——男が穏やかな声で言った。「よく来ましたね」

あの夜、駅前で聞いたのと同じ口調だった。

最後にもう一つだけ書かせてほしい。この街で、もしあなたが「見てはいけないもの」を見てしまったなら——もう、あなたのスコアは下がり始めている。今夜、あなたのスマートフォンに通知が届くかどうか、確認してみることだ。アプリのアイコンをタップするその指が、震えていなければいいが。

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