祖母が亡くなったのは、桜の散り際の曇った午後だった。享年八十七。福井県の山あいの小さな町で、五十年以上も一人で暮らしていた。私——美咲、二十八歳——は都内のデザイン事務所を辞めたばかりで、失恋と仕事の疲れから少し休みたいと思っていたところだった。母から「あの家、どうする?」と聞かれたとき、深く考えずに「私が住む」と答えていた。
家は築百年を超える古い日本家屋で、母屋のほかに離れとして小さな茶室がついていた。祖母は若い頃に茶道をたしなんでいたらしく、その茶室は彼女にとって特別な場所だったという。ただし、私が子どもの頃に遊びに行った記憶の中では、茶室の戸はいつも閉ざされていて、中に入ったことは一度もなかった。
引っ越しを済ませた初日の夜、私は母屋の六畳間で布団を敷いた。都会の喧噪から一転、聞こえるのは遠くの沢の水音と、時折鳴くフクロウの声だけ。これでようやく眠れる——そう思った矢先、遠くから「ミシリ」という音が聞こえた。
音は母屋から廊下でつながった離れの方からだった。ミシリ。ミシリ。一定の間隔で、畳を踏むような重みのある音。まるで誰かが正座でもしているかのように、座って、少し体勢を変えて、また静かになる——その繰り返しだった。古い家だから木が収縮しているだけだろう。そう自分に言い聞かせて、私は耳栓をして眠った。
ところが、その音は次の夜も、その次の夜も、決まって現れた。しかも不思議なことに、それは必ず午前二時ちょうどに始まった。私は枕元に置いたスマートフォンの時計でそれを確認した。二時ピッタリ——毎晩、一分の狂いもなく。
一週間が過ぎた頃、私は思い切って茶室を調べてみることにした。祖母は何も言い残さなかったが、あるいはネズミか何かが棲みついているのかもしれない。昼間の明るいうちに離れへ渡り、重い木戸を引いた。錆びた金具がギィと鳴き、ほこりっぽい空気が流れ出た。
茶室の中は驚くほど整然としていた。四畳半の小ぢんまりとした空間——畳は黄ばんでいたが、破れひとつない。床の間には掛け軸が掛かり、その下に一輪挿しが置かれていた。そして、その隣に——茶碗が二つ。ひとつは縁に金継ぎの跡がある古い楽茶碗で、もうひとつは白い無地の茶碗。ふたつとも、ついさっきまで使われていたかのように、うっすらと湯気が立っているように見えた。
私は息をのんだ。この家に来てから、一度もこの茶室には入っていない。祖母が亡くなってから二ヶ月、誰も訪ねてきてはいないはずだ。なのに茶碗は清潔で、茶筅も濡れたまま立てかけてあった。
震える手で祖母の遺品が入った箪笥を開けると、そこには日記帳が何冊も積まれていた。祖母は几帳面な人で、晩年まで毎日欠かさず日記をつけていたらしい。私は一番新しいものから順にページをめくった。最後の数週間は病院で書いたものだったが、その前——亡くなる一週間ほど前の日付に、こうあった。
〈今夜もいらした。二時に、いつもの席に。もう五十年目になる。最初は怖かったけれど、いまでは旧い友のように思う。この夏を越えられるかわからないから、そろそろ誰かに引き継がねば。でも誰に——美咲は東京で忙しくしているし〉
さらにページを遡っていくと、もっと詳しい記述があった。五十年以上前の日記——祖母がまだ三十代の頃、旅の僧がこの家に一晩の宿を求めて訪ねてきた。祖母は快く迎え入れ、茶を振る舞った。僧は翌朝、この茶室で静かに息を引き取った。長い旅の果て、ようやく見つけた終の棲家だったのだろう——と、祖母は書いていた。以来、祖母は毎晩二時に茶を点てて僧をもてなしてきたのだ。
祖母には不思議な力があった。子どもの頃から「見える」人だった。私にはそれがまったく受け継がれなかったが、何かが「そこにいる」ことだけは、かすかに感じ取ることができた。祖母が言うには、それだけで十分だという——「相手に誠意が伝われば、どんな形でもいいのだ」と。
その夜、私は二時まで起きていた。腕時計の針が重なるのを確認し、そっと茶室の前に立った。中からは相変わらずミシリという音が聞こえる。意を決して戸を開ける——そこには誰もいなかった。しかし、畳の上にうっすらとついた座布団の跡は、たったいままで確かに誰かが座っていたことを示していた。空気は妙に温かく、微かに抹茶の香りがした。
私は台所で湯を沸かし、覚えたての手つきで茶を点てた。白い茶碗の方に注ぎ、そっと畳の上に置く。しばらくすると——茶碗の中の湯が、ほんの少しだけ揺れた。誰かが飲んだ証のように、水面が静かに波打った。
私はそれから毎晩、二時に茶室へ行っている。姿は見えない。でも、そこに確かに「いる」。祖母が五十年かけて紡いだ約束は、思っていたよりもずっと自然に、私の日常の一部になった。
今夜も、離れの茶室でミシリと畳の鳴る音がする。そろそろお湯を沸かさなければ。旧い友が待っている。