深夜の交換ランドリー

都市伝説 |2026.08.15

引っ越したばかりのアパートには洗濯機を置く場所がなく、駅裏にある二十四時間営業のコインランドリーに通うようになった。三台並んだ洗濯機のうち、いちばん奥の一台だけが妙に古びていて、投入口の縁がうっすらと黒ずんでいる。他の二台がいつも順番待ちになるほど繁盛しているのに、その一台だけはなぜかいつも空いたままだった。

最初にそのことを気にかけたのは、深夜零時過ぎに立ち寄った夜のことだった。近所に住んでいるらしい常連の中年女性が、乾燥機の順番を待ちながら小声で教えてくれた。「あの奥の機械、零時から三時の間だけ動くのよ。日中は電源すら入らない」。半信半疑のまま昼間に確かめてみると、確かにボタンを押しても反応がなく、深夜になると小さなランプがぽつりと灯った。

その女性はさらに声を潜めて続けた。噂によれば、あの機械に自分の服を入れて回すと、洗い上がりに全く見覚えのない誰かの服が代わりに入っていることがあるのだという。それは行方不明になった人の私物で、本当の持ち主が見つかるまでの間、街の誰かが順番に「預かっている」のだと。決められた期限――次の満月の夜までにきちんと洗って戻せば、何も起こらない。だが、もし気に入って自分のものにしてしまった者がいれば、次はその人自身の行方が分からなくなるのだと言い伝えられているらしい。

作り話だろうと笑い飛ばしながら帰路についたが、その夜はなぜか胸の奥がざわついて、なかなか寝つけなかった。数日後、洗濯物が溜まったのをきっかけに、好奇心に負けてとうとうあの奥の機械を試してしまった。零時を過ぎたのを確かめてから、普段着ているシャツとタオルを放り込み、硬貨を投入する。洗濯槽が回り始める音は、隣の二台よりわずかに低く籠っていて、まるで何かが唸っているように聞こえた。

四十分ほど経って扉を開けると、確かに自分の服はそこになかった。代わりに入っていたのは、淡いベージュのワンピースと、細い革のストラップの腕時計だった。どちらも湿っておらず、まるでたった今アイロンをかけたばかりのように皺一つなく整っていた。持ち主の見当はまったくつかない。恐る恐る自宅に持ち帰り、開けるのをためらいながらもクローゼットの隅にしまい込んだ。

その夜からというもの、うとうとするたびに、見知らぬ女性の記憶らしきものが夢の中に混ざり込むようになった。改札を出てすぐの角にある小さな花屋、待ち合わせに遅れたことを電話越しに詫びる声、腕時計をどこかで落としてしまったと繰り返し謝る誰かの姿。どれも自分自身の記憶ではないはずなのに、まるでその場にいたかのように鮮明で、目が覚めるたびに、覚えのない疲労感だけが体に残った。

気になって、ランドリーの管理人らしき老人に思い切って尋ねてみたことがある。老人は最初こそ言葉を濁していたが、閉店間際の静けさの中で、ぽつりぽつりと語り始めた。「あの機械はね、行き場をなくした人の忘れ物を、この街でいちばん優しい人のところへ届けてるだけなんだよ。届けられた側が、ちゃんと届け返せるかどうかは、また別の話だけどね」。それだけ言うと、あとは何を尋ねても目を伏せるばかりで、二度と多くを語ろうとはしなかった。

夢の内容は日を追うごとに具体的になっていった。三年前、この近くの駅前で花屋の看板娘として親しまれていた若い女性が、待ち合わせの相手を待ったまま忽然と姿を消したという話を、後日、図書館に保管されていた古い地域新聞の縮刷版で見つけてしまった。当時の記事の片隅には、彼女が身につけていたとされるベージュのワンピースと腕時計の特徴が、遺留品として写真つきで小さく載っていた。手元にあるものと、色も柄も寸分違わなかった。

満月の夜が近づくにつれて、夢の中の記憶はいよいよ現実の生活と混ざり合い始めた。仕事帰りに見知らぬ花屋の前でふと立ち止まり、覚えのない相手の名前を口にしそうになる自分に気づいて、慌てて我に返る。このまま持ち続けていたら、次に消える番は自分に回ってくるのではないか。あの中年女性が語っていた言葉が、頭から離れなくなっていった。

満月の夜、勇気を振り絞ってワンピースと腕時計を紙袋に詰め、深夜零時を待ってから例の機械へと向かった。手が震えたが、意を決して投入口に押し込み、硬貨を入れる。洗濯槽が唸るように回り始めた瞬間、背後でランドリーの扉が静かに開く音がした。驚いて振り返ると、閉店しているはずの店内に、いつの間にか老人が立っていて、ただ静かに頷いていた。

洗い上がりの扉を開けると、そこには自分のシャツとタオルが、きちんと畳まれた状態で戻っていた。ワンピースも腕時計も、跡形もなく消えていた。老人はいつの間にか姿を消しており、蛍光灯だけがやけに明るい店内には、自分ひとりが取り残されていた。夢はその夜を境にぴたりと止み、記憶に紛れ込んでいた見知らぬ女性の断片も、日を追うごとに少しずつ薄れていった。

それから半年が過ぎ、あのランドリーにはできるだけ近づかないようにしている。同じ町内に住み続けている以上、駅裏の道を完全に避けることは難しいが、深夜に用事を作らないよう気をつけている。仕事終わりに遠回りをしてでも、あの通りだけは避けるようになった自分に気づいたとき、少し滑稽にも思えたが、それでも足はどうしても向かなかった。

だが先週、駅前の花屋に新しく入った若い店員の左手首に、見覚えのある細い革のストラップの腕時計が光っているのに気づいてしまった。花束を包む彼女の手つきはどこにでもいる店員のそれだったが、腕時計の傷の位置まで、記憶の中の女性が身につけていたものと一致しているように見えた。声をかけようとして、なぜか喉の奥がこわばって言葉が出てこなかった。彼女はこちらの視線に気づくと、少しだけ首をかしげ、何かを思い出そうとするような表情を浮かべてから、すぐに接客の笑顔に戻った。

その表情の一瞬に見えたものが何だったのか、いまだにうまく説明できない。あの女性が消えたときの記憶が、腕時計を通じてまた誰かに受け継がれ始めているのではないか。そんな考えが頭をよぎるたび、自分がしたことは正しかったのだろうかと考え込んでしまう。満月の夜に機械へ戻したのは、確かに正しい選択だったはずだ。それでも、街のどこかで同じ循環がまた始まろうとしているのだとしたら、自分にできることは、もう何も残されていないのかもしれない。

その日の帰り道、コインランドリーの前を通りかかると、閉まっているはずの入口の明かりが、いつもよりわずかに明るく感じられた。ガラス越しに覗き込むと、奥の機械にだけ、小さなランプがぽつりと灯っているのが見えた。まだ零時にはずいぶん早い時刻だったはずなのに。あの奥の機械が、また誰かの忘れ物を運ぼうとしているのかもしれない。今夜もどこかで、次の満月を待つように、あの唸るような音が静かに響いている気がしてならない。

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