転校してきたのは、十月の半ばだった。父の転勤で、三度目の転校。新しい学校にも、もう慣れっこだった。けれど、この学校の、ある習慣だけは、どうしても慣れなかった。それは、給食の時間の話だ。私のクラスは、三十八人。なのに、給食は、いつも三十九人分、届く。最初は単純なミスかと思った。だが、二日目も、三日目も、トレイはひとつ余る。そして、その余ったトレイは、教室の一番後ろ、窓際の空き机の上に、給食当番が黙って置くのだ。誰も、そのことに触れない。まるで、最初からそう決まっていたかのように。
「ねえ、あれ、誰の分?」——四日目、私は隣の席の真鍋に聞いてみた。真鍋は、一瞬、箸を止めて、それから、声をひそめて言った。「……石田くんの分だよ」。「石田くん?」。「三年前、この教室で、給食を食べてて、魚の骨を喉に詰まらせて、死んじゃったんだ」。「えっ」。「だから、ずっと、その席に、ひとりぶん、置いてるの。あの子、まだ、食べに来るから」。私は、ぞっとした。けれど、真鍋は、まるで天気の話でもするように、さらりと言ってのけた。
そして、その日の給食の時間——私は、確かに、聞いた。後ろの空き机の方から、箸が皿に触れる、かちり、という音を。誰も座っていないはずの席で。振り返ると、余ったトレイの上で、白いご飯が、ほんの少し、減っていた。次の日も、その次の日も、同じだった。給食の時間になると、必ず、あの席から物音がする。箸の音。噛む音。汁をすする音。けれど、誰も振り返らない。クラスメイトは、ただ黙って、自分の給食を食べている。時々、真鍋が、小さな声で言った。「……今日も、来てるね」。誰にともなく、そう言って。
私は、だんだん、あの机が気になって仕方なくなった。なぜ、あの子は、給食を食べに来るのか。三年前に死んだのに、なぜ、今も。真鍋に尋ねると、彼女は、少し困った顔をして、こう言った。「分からない。でも、あの子、あの日、給食を食べてる途中だったんだって。サバの味噌煮を。骨が刺さって、そのまま……。だから、きっと、最後まで食べられなかったんだよ。あの日の、給食を」。私は、ぞっとした。あの子は、亡くなったあとも、あの日食べられなかった給食を、食べ終えるために、ずっと、教室に来ているのだ。喉に、骨を刺したまま。
「ねえ、その給食、誰かが食べちゃったら、どうなるの?」——私は、訊ねずにはいられなかった。真鍋は、急に表情をこわばらせた。「……食べちゃ、いけないの。絶対に。もし、あの給食を食べたら、交代になっちゃうんだって」。交代。私は、その言葉の意味が分からず、首をかしげた。真鍋は、それ以上、何も言おうとしなかった。ただ、「とにかく、あの机のものには、触らないで。みんな、そうしてるから」と、それだけを、強い口調で言った。
そう言われても、気になるものは気になる。放課後、私は、職員室の前の掲示板に貼ってある、昨年度の卒業アルバムの余りを、こっそりと見た。三年ほど前のページ。クラス集合写真の、一番後ろの列に、小柄な男子生徒が写っている。メガネをかけた、おとなしそうな子。名前の欄には、「石田」とあった。その隣の、空いているはずの席——いや、写真の石田は、しっかりと、窓際の一番後ろの席に座っていた。あの、今は誰も座っていない、あの席に。私は、写真の石田の顔を、まじまじと見つめた。すると、妙なことに気がついた。写真の石田は、カメラではなく、斜め後ろ——私の立っている方角を、見ているような気がしたのだ。もちろん、そんなはずはない。三年も前の、ただの集合写真だ。けれど、私は、その日から、教室の後ろが、どうしても、振り返ってしまうようになった。
ある日のこと。給食当番の子が、配膳の途中で、トレイを一つ、取り違えた。普段、後ろの机に置かれるはずのトレイが、うっかり、私の机の上に置かれてしまった。「あっ」——給食当番の子が、顔色を変えた。けれど、時すでに遅し。私は、何も知らずに、そのトレイの煮魚に、箸を付けていた。サバの味噌煮。一口、口に運んだ、その瞬間——喉の奥に、何かが、刺さった。小骨だ。私は、むせた。咳が止まらない。息ができない。涙が出た。クラスメイトが、一斉に、私を見ていた。
私は、保健室に運ばれた。養護の先生は、「骨は、もう取れたよ。大丈夫」と言った。けれど、あの日の夜から、私は、ずっと、喉に違和感がある。何かを飲み込むたびに、かすかに、骨が刺さっているような、ちくり、という感触。鏡で喉を見ても、何もない。けれど、確かに、そこに、何かがある。
そして、次の日の給食の時間。私は、自分の机を見て、息を呑んだ。私の机の上に、トレイが置かれていた。ひとりぶんの、給食。私は、まだ、自分の席に座っている。なのに、私の机の上には、もう、私の分のトレイが置かれている。後ろの机にも、トレイが置かれている。ふたつの机に、ふたつの給食。クラスメイトは、私の机を見て、それから、私を見て——何も言わなかった。ただ、目を逸らした。真鍋だけが、小さな声で、言った。「……ごめんね」。何に対して謝っているのか、私には分からなかった。
その日の給食、私は、自分の分のトレイに、箸を付けることができなかった。喉の奥で、小骨が、ちくり、と動いた。私は、ようやく、分かった。あの子は、毎日、給食を食べに来ていたのではない。食べたくて、来ていたのではない。あの日、最後の一口を食べられなかったから、ずっと、食べ終われないのだ。喉に骨を刺したまま、あの席で、給食を待ち続けている。そして、今——交代が、起きた。あの子は、私の体で、外に出ていった。代わりに、私が、あの席に残った。
それから、どうなったか。私は、今も、この教室にいる。けれど、誰も、私に気づかない。朝のホームルームでも、掃除の時間でも、私の席は、ただの空き机として、誰も座らない。給食の時間になると、私の机の上に、トレイが置かれる。ひとりぶんの、給食。私は、それを、食べる。喉に刺さった小骨の感覚を、確かめるように、ゆっくりと。食べ終わると、また、次の給食の時間を待つ。あの子と同じように。あの子が、三年間、待ち続けたように。——もし、あなたが、この話を読んでいて、給食の時間に、ひとつ多くトレイが届くクラスがあったら。どうか、そのトレイに、触れないでほしい。それは、誰かの、食べ終われない、ひとりぶんの給食だから。そして、もし、もう触れてしまったのなら——あなたの席にも、明日から、きっと、ひとりぶん、届くようになる。