遠回り

実話系怪談 |2026.09.20

夜勤明けに、なぜかいつもと違う道を帰った。その日、深夜零時から朝方四時まで、近くの運送会社の倉庫でアルバイトをしていた。帰り道はいつも駅前の大通りを抜けるのだが、あの夜だけは、なんとなく住宅街の裏道に入った。理由は今でも分からない。工事をしていたわけでもなく、誰かに呼ばれたわけでもなく、ただ足が、そちらへ向かっていた。

住宅街の路地を歩いていると、角の自動販売機の前に、人影があった。三時二十分ごろだった。こんな時間に誰が、と思いながら近づいて、顔を見て、足が止まった。近藤だった。大学時代の友人で、卒業後はお互いに忙しくなり、三年近く会っていなかった男だ。近藤も、僕に気づくと、大きく目を見張った。「え、お前……」という顔をして、次の瞬間、困ったように笑った。「こんな時間に、なにしてんの」と近藤は言った。こっちが聞きたかった。

立ち話をした。時間にすれば、十分かそこらだったと思う。どこに行くの、と聞くと、「帰るとこ。ちょっと遠いとこから、帰ってきたところ」と言った。電車は終わってるよ、と僕は言った。近藤は「まあ、なんとかなる」と笑った。薄いシャツを着ていた。九月の末の夜中は、もう十分に冷えている。寒くないのか、と思ったが、近藤は寒そうにしていなかった。顔色が悪かった。疲れてるのかな、と感じたが、なんとなく聞けなかった。言葉が、そこで詰まる気がした。

「最近、どうしてる?」と聞いた。近藤は少し間を置いてから、「まあ、なんとかやってるよ」と答えた。それから、急に「お前、飯、ちゃんと食べてるか?」と言ってきた。唐突な問いに、僕は笑いながら「コンビニ飯ばっかりだよ」と答えた。近藤は、困ったような顔をして「それはダメだ。ちゃんと食べろよ」と言った。大学のときも、近藤はそういうことを言う男だった。体のことや、生活習慣の話をよくした。当時は少し鬱陶しいと思っていたが、今思えば、それが近藤らしさだった。

別れ際に、近藤は「また連絡する」と言った。そして少し迷ってから、「会えてよかった」と、小さく付け加えた。僕は「こっちも久しぶりだったよ。元気でね」と答えて、手を振った。歩き出して、三十メートルほど進んでから振り返ったとき、自動販売機の前には、もう誰もいなかった。足音も聞こえなかった。あんな細い路地で、どこへ消えたのか。少し不思議に思ったが、疲れていたのでそのまま家に帰った。

翌朝、吉田から電話が来た。吉田は大学のゼミで近藤と同じだった男で、今でも年に数回は連絡を取り合っていた。電話口の吉田は、声が震えていた。「近藤が、死んだ」と言った。昨夜、急性硬膜下血腫で倒れた。運転中に突然意識を失い、電柱に衝突した。発見されたのが深夜で、搬送先の病院で息を引き取った。「臨終の時刻は、三時三十五分だった」と吉田は言った。

「三時三十五分」と、僕は繰り返した。声が出なかった。あの夜、僕が近藤と話していたのは、三時二十分から三時半のあいだだった。「電車終わってる、まあなんとかなる」と笑っていた近藤の、その頃にはもう、車がどこかの電柱に突っ込んでいたはずだった。事故現場と、僕が近藤と会った場所は、二キロほど離れている。

理屈では、説明がつかない。夢だったとも思えない。自動販売機の冷白い光の中の近藤の顔、困ったような笑顔、薄いシャツの袖の、少しほつれた糸。今でも、鮮明に覚えている。あの笑い方も、言葉の間の取り方も、全部、近藤そのものだった。誰かが近藤に似ていたとか、見間違えたとかいう話では、ない。あれは、間違いなく近藤だった。

近藤の葬儀は四日後だった。花で囲まれた近藤の顔を見たとき、あの夜の顔と同じだ、と思った。青白くて、細くて。ただ、葬儀の近藤は、笑っていなかった。あの夜の近藤は、笑っていた。最後に「会えてよかった」と言って、笑っていた。そこだけが、違った。棺の前に立ちながら、僕は、あの「会えてよかった」という言葉の意味を、ずっと考えていた。答えは出なかった。

あれから一年が経った。今も、夜中にあの路地を通ると、自然に足が止まる。自動販売機は、まだそこにある。缶コーヒーのボタンが一つ、ずっと売り切れのままだ。近藤が大学のとき、よく飲んでいたメーカーのやつだ。それが売り切れていると、毎回、胸に引っかかるものを感じる。気のせいだとは、思えない。今夜も、夜勤に出かける前に、あの路地のそばを通ってみた。自動販売機の前には、誰もいなかった。「ちゃんと食べてるか」という声が、まだ耳の奥にある。今夜は、ちゃんと食べていくことにした。

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