SNSで「深夜0時に自分の番号へ電話をかけると、折り返しがくる」という話が広まったのは、去年の秋だった。
最初の投稿は、フォロワー二百人ほどの平凡なアカウントによるものだった。深夜0時ちょうどに自分の携帯番号へ電話をかけると、そのまま通話ができない代わりに、しばらく後に着信がある。発信者番号は、自分自身の番号。出ると、自分の声で短い一言を言って切れる。
スクリーンショットつきの投稿は数千リポストを超えた。追試の報告が続き、やってみたが何も起きなかったという者と、本当に折り返しがきたという者が半々ほどで混在した。折り返しがきた者が報告した「声の内容」にはいくつかのバリエーションがあった。「すぐ行く」がもっとも多く、「もうすぐ会える」「待ってて」という報告もあった。
ひとつだけ、毛色の違う投稿があった。
「出たら自分の声で『何で来なかったの』と言った」
リプライ欄には「どういう意味?」という返信が並んでいたが、投稿者からの返答はなかった。
私がそれを試したのは、去年の十一月の初めだった。
職場の同僚に田辺という男がいた。三十四歳、私より二つ年上で、SNSのネタをよく拾ってくる人間だった。「やってみようよ。どうせ何も起きないから、笑えるじゃないか」と言い、その日の帰りに会社の近くの居酒屋に入った。
二人で深夜0時ちょうどを待ち、それぞれ自分の番号へかけた。電話はつながらない。それは最初から分かっていた。しばらく待ったが、田辺の携帯には何も起きなかった。私の携帯にも、何も起きなかった。
田辺は「やっぱりね」と言って笑い、私たちは杯を続けた。
田辺は、翌日から出勤しなかった。
会社に「体調不良」という連絡が入り、そのまま三日後に退職届が届いた。「一身上の都合」とだけ書かれていた。田辺の自宅に何度電話をかけても繋がらず、SNSのアカウントはどこも消えていた。連絡先を知っていた共通の知人に当たったが、誰一人として田辺と話せていなかった。田辺には兄弟がなく、実家がどの県かも私は聞いたことがなかった。
職場では「急に辞める人って、たまにいるものだよね」という話になって終わった。
私だけが、終われなかった。
田辺が消えてから、私はSNSに残っている投稿を遡り始めた。「折り返しがきた」と報告したアカウントを一つずつ確認していく作業を、二週間かけてやった。数が多く、スクリーンショットの日付やアカウントの作成時期でソートするだけでも時間がかかった。
気がついたことがあった。
折り返しがきたと書いたアカウントのうち、三分の一ほどが、投稿後しばらくして更新を止めていた。全員ではない。半数以上は今も普通に使い続けている。でも、途絶えたアカウントが確かに存在する。失踪したのかSNSをやめただけなのか、確認する方法はない。リアルでの知り合いでもなく、本名も住所も分からない。
ただ一つだけ、気になるアカウントがあった。
この都市伝説で最初に「折り返しがきた」と投稿した者だ。二年以上前の投稿で、その後に数回の追記がある。「もう一度試したら、また折り返しがきた」。「声が昨日より近く聞こえた気がする」。そして最後の投稿が、今からちょうど二年前の日付で。
「深夜0時に自分の番号へかけたら折り返しがきた。自分の声で『すぐ行く』と言った。明日、もう一度試してみる」
それを最後に、アカウントは更新を止めていた。プロフィールにはひらがなで名前らしきものが書かれていたが、今となっては確認する術がなかった。
先月の深夜、私のスマホに着信があった。
午前一時を少し過ぎた頃だった。画面を見ると、発信者番号として表示されていたのは、私自身の番号だった。
私はその夜、誰にも電話をかけていなかった。自分の番号へも、当然かけていなかった。
着信は三回鳴って、切れた。かけ直そうとしたが、自分の番号へはかけられない。仕組み上、繋がるわけがない。留守電にも何も残っていなかった。
夢でも見たかと思ったが、着信記録は残っていた。
それから毎晩、深夜になると不在着信がある。発信者番号は常に私自身の番号だ。出ようとしても、呼び出し音が一度鳴りきる前に切れる。夜中に起きて待ち構えてみても同じだった。着信の件数は少しずつ増えている。最初は夜に一件だったのが、今は数件になった。
昨夜は、六件だった。
今夜はまだ鳴っていない。
鳴ったら今度こそ出てみようと思っている。自分の声で何を言うのか、聞いてみたい。
ただ、どうしても引っかかることが一つある。
田辺は、何も起きなかった。折り返しはこなかった。それでも翌日には消えた。
折り返しがきたという者が全員消えているわけではない。追試で折り返しがきたと報告しながら、いまも普通に生活している者も多い。
では、何が違うのか。
私には分からない。ただ、田辺が「やっぱりね」と笑ったとき、私は少しだけ安心していた。何も起きなかったから、大丈夫だと。
今は、少し違う気がしている。
何も起きなかった田辺が消えた。
何かが起きている私は、まだここにいる。