去年の九月の初め、私は岐阜の実家に帰った。
八十一歳の母がバランスを崩して縁側から転落し、腰と右手首を痛めたのだ。大事には至らなかったが入院はせず自宅療養となり、一週間ほど様子を見るために帰省した。東京の自室でできる仕事が続いていたので、ノートパソコンを持ち込んでリモートワークをしながら母の世話をした。
実家は山あいの古い農家で、築七十年近い。父が十二年前に亡くなってから、母は一人で暮らしていた。老いていたが頭は明晰で、時々昔話を繰り返す以外は会話も嚙み合い、簡単な料理もこなしていた。怪我をするまでは、一人暮らしをそれほど心配していなかった。
母には長年の習慣があった。朝と夕方、縁側に腰かけて庭を眺めることだ。庭の中央には梅の木が一本あり、その左手に古い石灯籠がある。父が若い頃に植えた木で、毎年二月になると白い花を咲かせた。母はその木を、季節が変わるたびに眺めていた。
帰省して三日目の夜、私は異変に気づいた。
深夜近い時刻に廊下を歩いていると、居間の奥から母の声が聞こえた。低く、丁寧な口調で話している。こんな時間に誰かが来ているのかと思い、足を止めて耳を澄ました。相手の声がしない。母だけが話している。
縁側を覗くと、母は暗い庭に向かって話しかけていた。電灯の光は縁側の端まで届いていない。梅の木の向こうは薄暗く、竹藪の影が揺れていた。
「今夜も来てくれましたねえ。涼しくなりましたよ」
声をかけると、母はゆっくり振り返った。特に驚いた様子もなく、「庭に人が来ているんだよ」と言った。
若い女の人が、毎晩来るという。白い服を着て、梅の木の少し右手のところに立っている。こちらが話しかけると聞いてはくれるが、返事はない。「ただじっとしているだけで、首を少し傾けることがある」と母は言った。
私は縁側に出て、庭を見た。梅の木が月明かりに浮かんでいた。石灯籠の向こうには何もない。竹藪が風に揺れているだけだった。
「見えないよ、お母さん」
母は少し間を置いて言った。「そうかねえ。よく見えるのに」
翌日、私はなるべく気にしないようにして仕事を続けた。老人が実在しないものを見ることはある。幻視は認知症の初期症状のひとつでもある。東京に帰ったら主治医に相談しようと考えながら、その夜も母の横に座って庭を見た。
何も見えなかった。
しかし四日目の夜、私はある感覚を覚えた。
見えているとは言えない。見えていないとも言い切れない。梅の木の右手の暗がりに、空気の「濃さ」のようなものがあった。視点を外すと消え、また戻すと微かにある。目の錯覚だとも思えたし、暗さに慣れた目が輪郭を見出そうとしているだけとも思えた。ただそれが気になって、その夜は縁側で一時間ほど過ごした。
翌朝、私は母に確かめた。「昨夜の女の人、どの辺りに立ってたの?」
母は庭を見やって、石灯籠を指さした。「あの石灯籠のちょうど向こう、梅の木の右あたりだよ。いつも同じ場所に立ってる」
私が感じた場所と同じだった。
その後も私は毎晩、縁側から庭を見た。感じることはあっても、はっきりとは見えなかった。母は変わらず庭に向かって話しかけ、その人物の様子を私に伝えた。「今日は頭を少し傾けていた」「雨の夜でも来た」「だんだん縁側に近づいている気がする」——最後の言葉を聞いたとき、私は何も言えなかった。
帰省最終日の前夜だった。
母が夕飯の後、珍しく食卓から動かなかった。いつもは食べ終わるとすぐに縁側に出るのに、その夜は黙って手を膝の上に重ねていた。片づけを終えた私が声をかけると、母は真顔で「直人、座って」と言った。
「今日、あの人が話しかけてきたんだよ。初めて声が聞こえた」
私は椅子に腰を下ろした。「何て言ってたの?」
母はしばらく黙っていた。庭の梅の木の方向を見ながら、唇を少し動かした。それから静かに言った。「直人のことを言ってたよ」
「……何を?」
母は答えなかった。目を伏せ、それ以上話してくれなかった。
翌朝から母は縁側に出なくなった。理由を聞いても「もう来ないから」とだけ言い、口を閉じた。
私は予定通り、翌朝に実家を出た。
玄関で母に別れを告げ、車に向かって庭を横切った。九月の光が低い角度から差し込んでいた。石灯籠の横を通りすぎようとしたとき、足元に目が向いた。秋の朝の光で、私の影が長く伸びていた。
その影を見た瞬間、私は立ち止まった。
影は二つあった。
自分の影の隣に、もう一つの人影が並んでいた。私の影と同じように、石灯籠の先まで細長く伸びていた。振り返っても誰もいない。また前を向くと、影はまだそこにある。私の影より少しだけ背が高く、肩のあたりから長い髪が垂れていた。
私は足早に車に乗り込んだ。
バックミラーには、誰もいない庭が映っていた。
その後、母は主治医に診てもらったが、認知症の所見はなかった。幻視の原因もわからなかった。母はあれ以来「あの人」の話をしない。聞いても「もう来ないから心配いらない」と言うだけだ。
何を言っていたのか、今も教えてくれない。