東京のある私鉄の駅、四番ホームの階段を下りてすぐ右手に古い柱がある。その柱の前に立って、発車ベルが鳴る十三秒前にホームの先端を見ると、「もうすぐ死ぬ人」の姿が見える——そういう都市伝説が、いつからかSNSに広まっていた。
田中誠二がそのスレッドを見たのは、深夜の布団の中だった。残業明けにベッドで横になり、スマートフォンをぼんやりと見ていると、フォロワーがリポストした投稿が流れてきた。「本当にあった話」のタグと数千のいいね、そして「試した、見えた」「嘘つくな」「呪いにかかるぞ」と二百件を超えるコメントがついていた。
投稿者は「駅名は言えないが都内の某私鉄」と書いていた。出口番号、ホーム番号、柱の位置、立つべき角度、そして「発車ベルが鳴る十三秒前」という条件まで書いてあった。都市伝説に特有の、根拠のない具体性があった。
誠二は三分ほどコメントを読んで画面を閉じた。信じてはいなかった。ただ、投稿に書かれていた駅名の伏字が、自分の通勤路線にある駅と一致しそうだということは、頭の片隅に残った。
試したのは一週間後の木曜日だった。
残業が終わって四番ホームに降りたのが夜の十一時過ぎ。誠二はいつもの習慣でスマートフォンの時刻を確認し、柱のそばで足を止めた。次の電車の発車は二十三時〇四分。ベルが鳴る十三秒前は、二十三時三分四十七秒。馬鹿馬鹿しいと思いながら、指で秒を数えた。
四十七秒になった瞬間、ホームの先端に目を向けた。
黄色い点字ブロックの内側、端から四、五メートルの位置に、スーツ姿の中年男性が立っていた。他の乗客の輪から少し外れた場所にいた。背が高く、疲れたように肩が落ちていた。別に不自然ではない。でも誠二は、その人物だけが何か異なる空気をまとっているように感じた。色ではない。質感のようなものが、他の乗客とわずかに違う気がした。
電車が来て、誠二は乗り込んだ。その男性も同じ車両に乗ってきた。誠二は見ないようにした。
翌朝、スマートフォンのニュースアプリを開くと、見出しが目に入った。
「○○駅ホームで五十代男性が倒れ死亡 急性心不全と診断」
同じ駅だった。昨夜の記事だった。添付のサムネイルには、ロープが張られたホームが映っていた。
誠二は会社のデスクで、その記事を何度も読み返した。偶然だ。都市伝説が本当に機能するはずがない。自分が昨夜見たのはただの乗客で、その人が偶然その後に倒れたというだけのことだ。自分とは何の関係もない。
頭では分かっていた。それでも、一日中、その男性の背中が頭から離れなかった。
翌週の火曜日、誠二は再び四番ホームの柱の前に立った。今度も秒を数え、十三秒前にホームの先端を見た。白いコートを着た若い女性がいた。スマートフォンを見ながら立っていた。何かが違う気がした——前回と違う感触があった。翌日、ニュースには何もなかった。
もう一度、一週間後。今度も「見えた」気がした男がいて、翌日、同じ路線で人身事故のニュースがあった。場所は違うホームだったが、誠二は夜、なかなか眠れなかった。
見えたとして、どうするのか。声をかけるのか。「あなた、気をつけてください」と言うのか。言ったとして何が変わるのか。変えられるものがあるのか。何も変えられない。ただ自分だけが、知ったような気になって、朝のニュースを確認して、一致したら罪悪感を持て余している。意味のない行為だった。
誠二は試すのをやめた。
それから二ヶ月が過ぎた。
十一月のある水曜日、誠二は深夜残業を終えて四番ホームに降りた。終電ひとつ前の時刻で、ホームには疲れた顔の乗客が数人いた。頭が空白に近かった。いつものように柱のそばを通り過ぎようとして、気がついたら足が止まっていた。
スマートフォンを取り出した手が、カウントダウンを始めていた。
「やめろ」と自分に言った。
それでも、数えていた。
十三秒前。
ホームの先端に目を向けた。
いた。
スーツを着た男が、黄色い線の手前に立っていた。疲れたように肩を落として、少し前かがみで立っていた。誠二は目を細めた。
見覚えがあった。
背格好。スーツの型。首の傾け方。深夜の帰り道に、電車の窓ガラスに映る自分の姿で何度も見てきた、あの輪郭だった。
電車が入ってきた。
男は振り向かなかった。
誠二は乗り込まなかった。扉が閉まり、電車が走り去った後、ホームの先端には誰もいなかった。風が走り、点字ブロックの上に空き缶が一本転がっていた。
誠二はしばらく、何もないホームを見ていた。
次の電車まで、まだ十四分あった。