都市伝説がある。
深夜の高速道路を一人で走っているとき、後方に一台の車が現れ、どんなに速度を変えても同じ車間距離を保ち続けるなら——それは、ついてくるものだ。
絶対にバックミラーを見てはいけない。絶対に停車してはいけない。絶対に先に行かせてはいけない。自分の降りるインターチェンジまで走り切れば、消える。走り切れなければ——投稿の続きは書いてなかった。「試した人が続きを書けないから」というコメントが七百件以上ついていた。
小泉玲奈がそのSNSの投稿を見たのは、出張帰りに立ち寄ったサービスエリアのフードコートだった。六月の中旬、静岡から東京へ戻る途中。夕飯替わりのコーヒーをすすりながら、暇つぶしにスクロールしていると、フォロー外の投稿が流れてきた。一万を超えるいいねと、「嘘くさいけど怖い」「深夜に読まなきゃよかった」というコメントが並んでいた。玲奈は三分ほど眺めてからスマートフォンをしまい、そんなことを忘れて駐車場に戻った。
高速に乗ったのは夜の十一時を過ぎていた。
上りの本線は空いていた。前後に車の見えない区間が続き、ヘッドライトが前方のガードレールだけを照らしていた。カーナビは「目的地まで八十四キロメートル」と表示している。眠気を飛ばすためにラジオをつけた。
後続車に気づいたのは、トンネルを抜けたあとだった。
バックミラーに白い光が映った。別に珍しくない。玲奈は意識を前方に戻した。十分後、その光はまだそこにあった。追いついてこない。離れない。一定の距離を保ったまま、ついてくる。
玲奈は速度を上げた。百十キロまで踏んだ。ミラーの光が——縮まらなかった。同じ距離のまま、ついてきた。
おかしい、と思った瞬間、サービスエリアで読んだ投稿の言葉が蘇った。「絶対にバックミラーを見てはいけない」。見ていた。でも、まだ形まで確認していない。玲奈は意識してミラーから目を離した。
速度を八十に落とした。光は、縮まらなかった。
心拍が上がっていた。馬鹿げている、と思った。後続車が一定の速度で走っているだけだ。こんな夜中に高速で後ろについた車が、偶然同じ速度を保っているだけ。それ以上でも以下でもない。ただの通勤者か、自分と同じように出張帰りのドライバーだ。
それでも、ミラーを見なかった。
残り三十キロのあたりで、玲奈は自分のインターチェンジが近いことに気づいた。いつもより意識が研ぎ澄まされていた。告知板に降り口の名前が見えたとき、ほとんど反射的に左車線に移った。料金所を抜け、一般道に出た。バックミラーには夜の住宅街だけが映っていた。後続の光は、直進していた。
玲奈は肩の力を抜いて、小さく笑った。都市伝説に本気で怯えた自分が、少し滑稽だった。自宅の駐車場に停め、エンジンを切った。
翌朝、ドライブレコーダーの映像を見たのは、別に理由があったからだ——昨夜、追い越し車線に白い乗用車が飛び出してきた気がして、ヒヤリとしたのを報告書に書く必要があった。
高速区間の映像を再生した。後続車が映っていない。
画質の問題かと思い、後方カメラで確認した。玲奈の車の後方が写っている。だが十分以上にわたって、後続車は一台も映っていなかった。空いているとはいえ、一台もというのはあり得ない話だった。
玲奈は映像のタイムスタンプを確認した。インターチェンジを降りた時刻から、駐車場に着いた時刻まで——三十二分の空白があった。
住宅街を走った区間の映像が、ない。
ドライブレコーダーは正常に動いていた。その前後の映像はある。でも帰宅途中の三十二分だけ、映像が記録されていなかった。
夕方、隣室の田辺さんがエレベーターで声をかけてきた。
「昨夜遅かったね。車、外に停めてたの? 何か用事でもあった?」
玲奈は首を振った。「いいえ、直帰だったので……」
「そう? 見慣れない車が駐車場の入り口の前に停まってて、三十分くらいエンジンも切ったまま動かなかったから、何かあったのかと思って」
「停まってた? どんな車でしたか」
田辺さんは少し考えて、首をかしげた。
「暗くてよく見えなかったけど——白い車だったかな」