ストレージの整理をしていたのは、十月の連休二日目の昼過ぎだった。
田端里穂は部屋のソファに足を投げ出して、スマートフォンをスクロールしていた。二十七歳、都内のIT企業に勤めて四年目。カメラロールはいつの間にか膨れ上がり、最近は動作が重くなっていた。クラウドへのバックアップを確認してから一年分ずつローカルデータを削除する——その地味な作業を、連休を使ってやっと始めた日だった。
2023年のフォルダを片付け、2024年を開いた。同期の飲み会、実家の猫、神奈川への小旅行。懐かしい写真が並ぶ中で、ある三枚が目に留まった。
日付は2024年3月12日。時刻は午前三時十七分、三時二十四分、三時三十一分。七分おきに撮られた、深夜の写真だった。
夜中に何を撮ったんだろう、と里穂は首をかしげた。投稿用でも記念でもない。暗い室内の写真が三枚、並んでいた。
一枚目を拡大した。
電気が消えた部屋だった。窓から差し込む外光がうっすらと室内を照らしている。奥のベッドに、誰かが横になっていた。
里穂は、一瞬それが自分だとわからなかった。
見覚えのある間取りだった。壁際のスチールラック、窓の遮光カーテン、ベッドカバーの灰色の格子柄——今自分が住んでいるアパートだ。ベッドで眠っているのは、自分だった。三月頃に着ていたロングTシャツ。枕の上に広がった、少し癖のある長い髪。
二枚目を開いた。
一枚目よりもベッドに近い位置から撮られていた。撮影者が数歩移動したらしく、眠っている自分の顔の輪郭がはっきりと見えた。口が少し開いていた。深く眠っているときの自分の顔だと直感でわかった——鏡では絶対に見ない角度だったが、なぜか確信があった。
里穂は画面から目を離し、部屋を見回した。昼の光が、いつもと変わらない部屋を照らしていた。
三枚目を開いた。
さらに近づいていた。ベッドの脇まで来ていた。眠っている自分の横顔が画面いっぱいに映っていた。寝息まで聞こえそうなほど近かった。
里穂はそのとき初めて、問いを立てた。
眠っている自分が映っている。ならば、この写真を撮ったのは誰だ。
撮影情報を確認した。機種はiPhone 13。自分が使っている端末だ。
三月十二日の夜を思い出そうとした。残業もなく帰宅した普通の平日だったはずだ。お酒は飲んでいない。当時は眠れない夜が続いていて、ベッドに入っても三時、四時まで起きていることはよくあった。スマートフォンをいじりながら眠れずにいた夜の記憶ならある。でも、写真に映った自分は深く眠っている。口が開いていた。あの状態でスマートフォンを持って撮影できる人間はいない。
午前三時に、自分のスマートフォンで、眠っている自分を——誰かが撮った。
里穂は腕の内側が粟立つのを感じた。
施錠は夕方でも朝でも必ずしている。オートロックのマンションで、合鍵は当時も今も誰にも渡していない。元交際相手に預けたことはあったが、それは二年以上前の別のアパートの話だ。合鍵を持っている人間は、いない。
里穂は三枚目の写真をもう一度開き、最大まで拡大した。
部屋の奥、電源の落ちたテレビが壁際に映っていた。黒いパネルが室内をわずかに反射している。撮影者はドア寄りの場所からベッドを向いていたはずで、テレビには撮影者の方向が映り込んでいるはずだった。
ピクセルが荒れてくるまで拡大した。
テレビのパネルに、人影があった。
縦長の輪郭だった。腕が二本、体の脇に垂れていて、その手先に小さな光点が見えた——スマートフォンのカメラのレンズか、画面の光か。
頭の部分は、ぼやけて形がわからなかった。
里穂は写真を閉じた。
翌日、マンションの管理会社に問い合わせて、オートロックの入退室ログを確認した。2024年3月12日、里穂の部屋番号に紐づいた最後の入室は22時43分だった。その後の解錠記録は、翌朝の出勤時刻まで残っていなかった。外部からの侵入を示す記録は、なかった。
三枚の写真は今もクラウドに保存したままにしてある。ローカルから削除しようとして、できなかった。
消してしまったら何かが確定する気がした。あれが何だったのか、あるいは今もまだ何かが続いているのかが——決まってしまう気がして。
里穂は今もあのアパートに住んでいる。
引っ越しを考えない日はないが、踏み切れない理由がある。もし引っ越したとして、あれが「出ていった後に入ってきたもの」なら、今逃げても追ってこない。でも「最初からそこにいるもの」なら、気づいた今から逃げても無意味だ。
どちらかわからない以上、確認するまで動けない。
確認する方法が、今のところわからない。